我々が普段目にする氷は無数の単結晶氷が密集したものである。個々の単結晶氷は周囲の水分子を取り込んで成長と融合を繰り返し氷のサイズをどこまでも際限なく大きくする。不凍タンパク質(Antifreeze Protein, AFP)は,そうした単結晶氷の表面に強く特異的に結合することにより,それらの成長と融合を阻止する機能を有している。また,不凍タンパク質には氷のみならず脂質二重膜にも結合する機能があり,氷温下にさらされた細胞の寿命を延ばすことが知られている。これらの機能は産業や医学の分野に比類のない省エネルギー技術をもたらすと考えられるため,国内外の様々な分野の研究者や技術者が,独自の視点から不凍タンパク質の研究開発に取り組んでいるのが現状である。
本書はそうした方々に執筆を依頼して完成した初めての不凍タンパク質の専門書であり,基礎,発展・応用,実用化の3編に分けて不凍タンパク質の機能と応用を論じた内容になっている。微生物学,進化学,生化学,分子生物学,細胞工学,生物工学,繁殖工学,低温生物学,食品工学,合成化学,雪氷学,結晶学,冷凍空調学,結晶成長学,構造生物学(NMR,X線)といった極めて幅広い分野の研究者達が1つのキーワード(不凍タンパク質)で一冊の本の中に集い,個々の科学的興味と実験内容を詳しく論じている本は極めて珍しい。本書を通して不凍タンパク質が如何に我々の身近に存在する有用な物質であるかということを沢山の方々に知って頂き,今後益々その研究と開発が進んでいくことを心から期待している。
目次
総論 不凍タンパク質の研究開発はどこまで進んだか?
1 はじめに
2 AFP の発見
3 AFP 研究の展開
4 熱ヒステリシスとは何か
5 AFP 実用化の現状と課題
6 AFP 研究者ネットワークの構築と国際会議の開催
【第1編 基礎】
第1章 不凍タンパク質と氷結晶成長ダイナミクス
1 はじめに
2 氷の結晶成長の観察方法
3 純水中での氷の結晶成長ダイナミクス
4 不凍糖タンパク質を含む水中での氷結晶成長
5 氷 / 水界面でのAFGP 分子の吸着挙動と成長ダイナミクス
5.1 プリズム面への吸着と成長抑制
5.2 ベーサル面の成長に対するAFGP 分子の効果
6 AFGP 分子の異方的効果と生体の凍結抑制機構
7 AFGP 分子の異方的効果のメカニズム
8 終わりに
第2章 X線結晶構造解析に基づく不凍タンパク質の分子機能解明
1 はじめに
2 魚類?型不凍タンパク質(TypeIAFP)
3 魚類?型不凍タンパク質(TypeIIAFP)
4 魚類?型不凍タンパク質( TypeIIIAFP)
5 昆虫・節足動物不凍タンパク質
5.1 Cf AFP
5.2 Ri AFP
5.3 Sf AFP
6 Rye grass IBP
7 MpAFP
8 Maxi
9 微生物AFP
第3章 中性子解析に基づく不凍タンパク質の分子機能解明
1 はじめに,量子ビームとしての中性子
2 タンパク質の中性子結晶構造解析
3 不凍タンパク質の中性子結晶構造解析
4 今後の展望
第4章 NMR 解析に基づく不凍タンパク質の分子機能解明
1 はじめに:タンパク質の溶液NMR でわかること
2 AFGP
3 ?型AFP
4 ?型AFP
5 ?型AFP
6 insect AFP
第5章 不凍タンパク質による氷成長抑制の分子レベル機構
1 はじめに
2 計算機シミュレーション法
3 氷結晶
3.1 氷の結晶構造と表面構造
3.2 氷の界面構造
3.3 氷の結晶成長機構
4 AFP の氷界面吸着と成長抑制
4.1 AFP 存在下で成長する氷結晶形態
4.2 AFP の氷界面吸着構造
4.3 AFP の界面吸着構造の熱力学的安定性
4.4 AFP による氷の成長抑制機構
4.4.1 AFP 吸着界面における氷の成長シミュレーション
4.4.2 ギブス・トムソン効果
5 おわりに
第6章 不凍タンパク質とイオンの協同効果による氷結晶成長制御
1 はじめに
2 実験方法
2.1 試料
2.2 装置
2.3 界面速度測定法
2.4 界面温度
2.5 AFP 濃度分布
2.6 イオン濃度分布
3 結果と考察
3.1 界面形状
3.2 界面温度降下度
3.3 イオン濃度
3.4 HPLC6 の濃度分布
3.5 イオンとHPLC6 の相互作用
3.6 HPLC6 凝集体
4 おわりに
第7章 カジカ科魚類の低温適応と不凍タンパク質
1 カジカ科魚類の適応放散と低温適応
2 遺伝子とは
2.1 “遺伝子”とは
2.2 セントラルドグマ
2.3 機能遺伝子としてのAFP
3 遺伝子実験手順
4 ギスカジカ属における凍結耐性の分子進化
5 カジカ科における凍結耐性
6 AFP 獲得と極域での低温適応
7 課題と今後の展望
第8章 微生物由来不凍タンパク質,その発見と多様性
1 はじめに
2 発見の経緯と歴史
3 微生物におけるAFP 分布とその特徴
4 水平伝播による遺伝子移動
5 おわりに
第9章 植物由来の凍結制御物質の探索と機能評価
1 植物の凍り方(凍結様式・凍結挙動:凍結に対する適応戦略)freezing behavior
2 凍結制御機構に関わる活性factors involved in freeze regulation
2.1 氷核活性・氷晶核形成能ice nucleation activity
2.2 抗氷核活性・過冷却安定化能anti-nucleation, supercooling promoting activity
2.3 不凍活性氷再結晶阻害活性antifreeze, ice recrystallization inhibition or ice binding activity
2.4 凍結バリアice blocking barrier or ice barrier
3 応用
3.1 氷核活性物質
3.2 不凍活性物質
3.3 過冷却を利用した保存
4 まとめと展望
第10章 遺伝子組換え技術を用いた不凍タンパク質の作製
1 組換えタンパク質発現技術
2 不凍タンパク質発現に利用される宿主
3 大腸菌による不凍タンパク質の生産
3.1 大腸菌宿主株
3.2 不凍タンパク質の遺伝子
3.3 培養温度
3.4 リフォールディング
3.5 タンパク質タグとの融合発現
3.6 翻訳後修飾
4 酵母による不凍タンパク質の生産
5 組換え技術を使った不凍タンパク質の改変
6 不凍タンパク質の組換え発現による耐寒性の改善
7 組換え発現技術を用いた不凍タンパク質の応用展開
8 おわりに
第11章 化学技術を利用した不凍糖タンパク質の作製
1 不凍糖タンパク質
2 ペプチド合成法の概要
3 不凍糖タンパク質アナログの合成
4 大型の不凍糖タンパク質の合成
5 おわりに
第12章 X 線 1 分子追跡法を用いた不凍タンパク質の動的挙動解析
1 不凍タンパク質の低温機能発現
2 X 線を用いた1 分子計測法の適応
3 配向させた1 分子不凍タンパク質分子膜の作製
4 温度依存性DXT 測定結果とその考察
5 今後の研究戦略
第13章 熱測定法による不凍タンパク質の低温挙動解析
1 はじめに
2 熱測定法の原理
3 ?型不凍タンパク質水溶液の低温熱測定
4 おわりに
【第2編 発展・応用】
第14章 氷の再結晶化抑制機能がもたらす冷凍食品の高品質化
1 はじめに
2 再結晶化の機構と抑制戦略
2.1 再結晶化の機構
2.2 氷結晶の再結晶化抑制戦略と不凍タンパク質による再結晶化抑制機構
3 AFP 存在下における糖(スクロース)溶液中の氷結晶の再結晶化挙動
3.1 実験方法
3.2 結果および考察
4 おわりに
第15章 不凍タンパク質の機能を代替する不凍合成高分子
1 はじめに
2 ポリビニルアルコール(PVA)
2.1 氷の再結晶抑制
2.2 氷の結晶成長抑制
2.3 氷の核生成抑制
3 そのほかの不凍タンパク質(AFP)代替物質
4 おわりに
第16章 過冷却促進物質の研究の現状
1 はじめに
2 過冷却促進物質を同定するための水の凍結温度の評価法
3 過冷却促進物質の多様性
4 氷核の違いによる過冷却促進物質の効果の変動
4.1 均質核形成による凍結への影響
4.2 不均質核形成による凍結への影響
5 過冷却促進物質の濃度の影響
6 過冷却促進物質の相互作用の影響
7 水溶液の量による過冷却促進物質の影響
8 過冷却持続時間への過冷却促進物質の影響
9 振動による過冷却の破れへの過冷却促進物質の影響
10 氷晶への過冷却促進物質の影響
11 おわりに
第17章 不凍タンパク質の配向集積化と凍結促進機能
1 はじめに
1.1 不凍タンパク質と氷核タンパク質
1.2 水を凍結させる技術
1.3 固体界面エンジニアリングによる水の凍結制御
1.4 不凍タンパク質の氷結晶結合面の集積化
2 不凍タンパク質固定化基板の作成
3 不凍タンパク質配向固定化基板の凍結促進機能解析
4 おわりに
第18章 不凍タンパク質含有ゲルの凍結乾燥により作製した超高気孔率セラミックス断熱材の製造
1 セラミックスとは
2 セラミックス多孔体
3 凍結現象を気孔形成に利用したセラミックス多孔体の製造法
4 セラミックス断熱材の重要性
5 不凍タンパク質含有ゲルの凍結乾燥により作製した断熱材
5.1 断熱材の製造方法
5.2 断熱材の特性
5.3 断熱材の組織とAFP 添加の効果
5.4 断熱材の強度に与えるAFP の効果
6 おわりに
第19章 線虫に対する不凍(糖)タンパク質の凍結保護効果
1 はじめに
2 線虫の凍結保存におけるAFP およびAFGP の利用
3 南極線虫を用いたDMSO とAFGP の凍結保護効果の比較(粗精製AFGP 使用)
4 線虫C. elegans に対するAFGP の凍結保護効果(粗精製AFGP 使用)
5 南極線虫におけるAF(G)P の凍結保護効果と脱水収縮の関係(高度精製AFP およびAFGP 使用)
6 クライオプレートを用いたガラス化保存の試み(粗精製AFGP 使用)
7 おわりに
第20章 ウサギ生殖細胞に対する不凍タンパク質の凍結保護効果
1 はじめに
2 AFP を用いた精子凍結
3 AFP を用いた受精卵凍結
4 まとめ
第21章 不凍タンパク質がウシ精子細胞に与える凍結保護効果
第22章 不凍タンパク質を利用した細胞の非凍結低温保存
1 はじめに
2 AFP の4 ℃環境下における細胞保護効果
3 走査型電気化学顕微鏡(SECM)を利用したAFP の4 ℃における細胞保護効果の評価
4 おわりに
第23章 牛受精卵に対する不凍タンパク質の非凍結保護効果
1 はじめに
2 材料および方法
2.1 実験1:牛受精卵の低温保存に適した基礎培地の探索
2.2 実験2:不凍タンパク質?型,Type? AFP が牛受精卵の低温保存に及ぼす影響
2.3 実験3:不凍タンパク質?型,Type? AFP(nfeAFP11)が牛受精卵の低温保存に及ぼす影響
2.4 実験4:nfeAFP11 存在下で低温保存された受精卵の子宮内発育の観察
2.5 実験5:nfeAFP11 存在下で低温保存された受精卵の受胎性
2.6 実験6:現場実証試験
2.7 統計解析
3 結果および考察
3.1 実験1
3.2 実験2
3.3 実験3
3.4 実験4
3.5 実験5
3.6 実験6
4 まとめ
第24章 マウス精巣上体尾部に対する不凍タンパク質の非凍結保存効果
1 はじめに
2 AFP 含有精子冷蔵保存液がマウス精巣上体尾部精子の生存性に及ぼす効果
2.1 冷蔵保存液の調整とマウス精子の冷蔵保存操作
2.2 精子細胞膜の完全性の評価
2.3 精子運動性の評価
2.4 マウス冷蔵精子を用いた体外受精操作
3 マウス精巣上体組織の非凍結保存操作の可能性
3.1 冷蔵保存溶液の調整
3.2 精子運動性の評価
4 冷蔵保存の可能性と展望
4.1 冷蔵保存技術の展示動物への応用
4.2 精子冷蔵保存技術の新たな潮流
5 まとめ
【第3編 実用化】
第25章 魚類不凍タンパク質製品の性質と食品への応用
1 はじめに
2 魚類不凍タンパク質製品
3 魚類不凍タンパク質製品の性質
3.1 熱ヒステリシス活性
3.2 溶解性
3.3 熱安定性
3.4 pH 安定性
4 魚類不凍タンパク質製品の主な効果
4.1 氷結晶の成長抑制
4.2 氷結晶の再結晶化抑制
4.3 氷結晶粗大による溶質の濃縮の抑制
4.4 タンパク質の凍結変性の抑制
4.5 低温下での細胞保護
5 不凍タンパク質の食品への応用
5.1 アイスクリーム類および氷菓
5.2 冷凍食品
5.3 凍結乾燥食品
6 おわりに
第26章 植物由来不凍タンパク質の加工食品への応用
1 植物由来不凍タンパク質
2 大根由来不凍タンパク質
3 マメ科由来氷再結晶化抑制タンパク質
4 デンプン加工食品への応用
4.1 冷凍米飯に対する効果
4.2 冷凍うどん(麺類)に対する効果
4.3 冷凍餃子の皮に対する効果
5 今後の展開
【付録】
付録1 六方晶氷の構造
付録2 氷晶面のミラー指数
付録3 不凍タンパク質の活性を評価する装置の例
付録4 不凍タンパク質抽出方法の例
付録5 FIPA 解析実験の概要